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CA声楽コンセルヴァトワール

音楽教室を開講している部屋です。

内容:「CA声楽コンセルヴァトワール(茶木鍼灸院内)アップライトピアノあり、小

さな流し台あり。

広さ:30畳(アクティングエリア約20畳)

用途:音楽レッスン、コーラス活動(30人まで可能)、ヨガ教室、語学教室、など

料金:2名様まで 一時間¥1,000

3名様以上 一時間¥1,500

住所:大阪市西区西本町2-4-8

アクセス:大阪メトロ中央線・千日前線阿波座駅①出口を地上に出ていただいて、目

の前の小さな信号(あみだ池筋)を渡っていただくと(中央大通りを右に見て)、すぐ左

にコンビニのファミリーマートがあります。

その脇の裏通りを右に曲がって真直ぐ進み、一筋目を過ぎ少し進むと「CA声楽コン

セルヴァトワール」のドアがあります(ドアの脇に自販機あり)(隣が補聴器のお店)。

階段あり。

二筋目まで行くと行き過ぎです。

お問い合わせ

TEL:090-6900-6744(茶木)

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更新日:2019年4月11日


2019、4、10

国家試験当日の前の夜や、その日の朝をどういう気持ちで過ごしたか、今となっては

うまく思い出せない。

ぐっすり眠れたし、目覚めも快調だったと思う。

多分緊張というものがさほどなかったのだろう。

ただ「ああ、インフルエンザに見舞われずに今日を迎えられてほっとした」と思った

ことは覚えている。

なぜ緊張がなかったのか?

多分じたばたしても今更どうしようもない、と腹をくくることができたのだと思う。

何事もそう思えればいいのだけど。

2月の最終の土曜日、この日が按摩・マッサージ・指圧のペーパー試験である。

部屋を出て冷たい風が吹く中、8時に試験会場に入る。

知らない人たちがたくさんすでに座に着いていた。

まず受験票を忘れず指定された僕の席の机の上の端に置く。

パーキンスとプレストークをセットして、それからトイレにも行っておく。

試験開始まで30分以上あったがあっと言う間に時間は過ぎて、どことなく神聖な空

気の満ちる広い試験会場に問題用紙が配り始められた。

「号令がかかるまで用紙は裏向けておくように」という試験官の声が広い部屋に響く。

そこから長い注意事項が述べられる。

「不正が認められた時には、その場で退場を命じます。

そして同時に以後の受験資格を失くすしますので、肝に銘じて下さい」というとても冷

たい口調の注意事項が耳に残る。

注意事項が終わると、しばし会場はシンと静まり返る。

そしてやがて「始め!」という鋭い声が響く。

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更新日:2019年4月11日


2019、3、29 振り返ると、年が明ける前に国家試験受験申請書なるものを請求し、それが送られて くると申請書の書き方の説明が授業で行われた。 この申請書の作成に間違いがあると、受験できないことにもなりかねないからだ。 そして受験料として数万円が必要となる。 もし合格するとアハキ師名簿(按摩・鍼・灸師の名簿)に登録するのにまた数万円必要 となる。 その受験申込書を郵送してしまうと、数日後に受験票が送られて来る。 手にしたカードに記された自分の五桁の受験番号と名前を確認した時に、ああいよい よなんだな、と思った。 試験会場に持って入るものは、プレストーク(会場で配られるCDロムを入れて再生 して問題が朗読される弁当箱ぐらいの機械)、パーキンス(点字をうつためのかなり重 いタイプライターのようなもの)、それと受験票。 これらの道具はどうしても必要なものなので、在学中に購入した(費用の一部は国か ら支給されるが、パーキンスなどは半分の¥70000を自己負担した)。 どれも機械なので、当日故障なんてことになったら大変である。 試験前のメンテナンスにも費用が掛かった。 入学した時には点字もほとんど読み書きできないし、音声ソフトによるパソコン操作 も手探りだった。 でも三年間必要に迫られて使いこなせなければ置いて行かれる、という切迫感の中で どれも今や使いこなしている。 試験前に、パーキンスのキーをパタパタと指で叩く僕の横で、ある先生が「人間とい うのは大したもんやな」と感慨深くおっしゃったのを覚えている。 これも自分自身の中にある気付かなかった能力の一つである。 ここ視覚支援学校理療科では、晴眼者として普通に生活していた者が、突然失明して 2・3年引きこもった後、資格を手にするため入学し、今まで触れたこともない医学 の勉強を始めるとともに、やったこともない点字を一から勉強して、右も左も分からな いまま日々の困難極まりない授業についていくという、想像も絶する苦労を乗り越え る人たちが少なくないのだ。 しかもその中にはすでに60歳を超えている人もいる。 そういう人たちを見ていると、僕なども甘えたことは言っていられない。 そして三年間がむしゃらに生きてみると、必要にさえ迫られればここまでこなすこと のできる器用さを自分もある程度は持ち合わせているのだ、と発見することができた。


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