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更新日:2019年4月11日


2018、7、10

人間社会というのは、いや動物社会でもそうだろうが、体内の免疫器官と同様、長い

年月においてその場に存在しなかったものは敵であれ見方であれ排除しようとする本

能が強く働くもののようである。

移植などで新しく入り込んできた異物に対してはかなり長い期間攻撃が行われ、その

まま排除されることもあれば、長い時間を掛けて体に有益であると認識されてようやく受

け入れられることにもなる。

僕においては、受け入れられるまでに要する時間、学校に存在することは許されなかった。

なぜなら三年生は一年間しかないからだ。

僕が言い出した卒業研究テーマは、今までに誰も手掛けなかった課題であり、しかも

その治療方法は教員全員が聞いたこともないものだった。

「この学校の方針以外の治療を持ち込むことは禁ずる」と学校側が言い切ってしまえ

ばよかったが、下手に黙認してしまったのだ。

なぜならそんな訳の分からない、自分たちが指導することも不可能なことを言い出す

学生は、学校始まって以来100年の間現れなかったのだろう。

臨床にお見えの僕担当の患者様から一人モニターになって下さる方を選び、12回の

治療にお付き合いいただいてそのデータを取り資料にまとめる。

そのような作業が始まってしまってから、少しずつ教員の先生方の心の中にいろいろ

な感情が芽生え始めた。

「わしの全く理解不可能なことをやりよって!」「脈診という学校内では誰も追及し

たことのない盲点を突かれて、これはちょっといずらい立場に追い込まれるな」「で

も何をやろうとしているか興味があるな」「ふん、どうせどこかのインチキ治療院の

インチキ流派を持ち込んで来たのだろう」「臨床の場としてはそのような学生の積極

的な意思を尊重してやりたいとは思う、また教員としてはそうでなければならないと

も思う、でも腹が立つ」というような感情が入り混じって渦巻いたのではと想像された。

そしていろんな先生が僕のところにやってきて、様々なことを言って去って行った。

中には一年間うじうじ意地悪をし続けた者もいた。

その先生は我々の座学も担当していて、僕は国家試験までずっと憂鬱な問題を抱えた

まま通学しなければならないこととなった。

授業中僕が質問をしても無視するとか、わざと僕のいやがるようなことを言ってみた

り、難癖をつけて担当の患者様から僕を外したり、というような極めて幼稚なものだ

ったが。

先生が成績を付ける以上、これははっきりとパワハラである。

この先生においては、最も強い免疫反応と言えただろう。

そんな中、臨床での研究発表の僕担当に任じられた先生が救い主となった。

僕は今でもこの先生に心からの敬意を示している。

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更新日:2019年4月11日



2018、6、24

学校での生活も少しずつ慣れ、二年間が過ぎ、僕は最終学年の三年生を迎えていた。

いよいよ国家試験を意識しない訳にはいかなくなってくる。

と共に、二年生までの按摩臨床に加えて、鍼臨床が入って来る。

臨床というのは、校舎の一階に設けられた臨床室に近所の方々が来られて、我々学生

の治療を受けて下さり、若干の治療費をいただくというものである。

もちろんその治療費は我々学生の財布には入らない。

臨床に必要な諸々の経費に使われるのだ。

もちろん我々学生は無資格で、先生が横に付いて指導しながらという条件付きで政府

から許可をもらっている行為で、患者様はその研究に協力するというのが名目である。

三年生では秋に卒業論文として一つの研究テーマを決めて、それを臨床での治療経過

と結果に基づいて資料をまとめ、全学生、先生方の前で発表しなくてはならない。

そのためにも一人の患者様を選んで、何回かの治療にご協力いただくことをお願いす

る。

僕は女性の月経にまつわる様々な不快感をどのように軽減するか、ということをテー

マに研究することとした。

しかし、そのような治療は今の日本での一般的な鍼治療では不可能なのである。

もちろんそこには、卒業後に僕が弟子入りする流派の治療を用いて、という狙いがあ

った。

このことがやがて学校内での煩わしい問題を僕にもたらすことになる。

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更新日:2019年4月11日


2018、6、7 学校に入学してすぐぐらいの時に、ずっと通い続けて来た治療院の医院長に「学校に 入学して資格を取るべく3年間通います。 晴れてライセンスを取得できたら、是非こちらの治療院で修行をさせていただきたい のです」と強くお願いした。 患者として10年間通い続け、僕がここの治療にどれだけ深い興味を持っているかは 理解していただいていたこともあり、弟子入りを許可してもらうことができた。 大きな夢に向かって歩み出すのはいいが、日々やるべきことは、目の前の現実と戦う ことだった。 必死の思いで中間テストを乗り越えると、またあっと言う間に期末テストがやってく る。 その間には容赦なく何百ページ授業は進み、驚くほど広い試験範囲に溜息が出る。 それがいくつもの科目に渡るのだ。 最初のうちは「こんな広い試験範囲を勉強するのは不可能だ!」と途方に暮れたが、 何でもやってみれば人間やり熟せるもので、少しずつ勉強にも慣れて行った。 それぐらいのスピードですべての授業を進めなければ、三年間で国家試験を受けるた めの知識に間に合わないのだ。 やはり費やす時間は相当必要とされ、休日の日は16時間机の前に座って食事する時 間も、風呂に入る時間も惜しく、箸を持ったままパソコンを操作しながらだった。 一年生の初めての試験が終わった時、とても久しぶりに陽の光、鳥たちの声、戦ぐ風 を感じて外を歩いたことを覚えている。 そして要約初めての夏休みを迎え、やれやれと一息ついたのもつかの間、休み明けに 控えている校内実力テストに向かって毎日14時間以上パソコンに向かった。 そして8月半ばごろ、突然突発性難聴を発症し、病院に通うこととなった。

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