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  • 2018年4月27日
  • 読了時間: 2分

更新日:2019年4月11日


2018、4、12 その治療院に長く通うこととなった。 そこでは鍼灸師の先生方が治療について互いに相談したり、報告し合ったりする。 その話が患者に全部聞こえることになる。 後に勉強して知ることだが、本来施術者には守秘義務という法律があって、患者様の 個人情報を他の者に漏らせば法に触れる。 しかしその時の僕は施術台の上に横になりながら、彼らの話に耳を傾けるのがとても 好きであった。 専門用語ばかりで何を言っているのか分からないことがほとんどだったが、彼らが僕 の体のことや、治療方法などについて夢中で話し合ったり、意見を述べ合ったりして いるのはとても興味深く、何よりも施術へのそのひたむきさに惹かれた。 そして彼らは自分たちの仕事が楽しくて仕方ない、という風である。 できることなら、自分もこの分野で他人の苦しみを和らげることのできる仕事がして みたい。 そう強く思ったが、何しろ自分は10代のころから音楽一本で生きて来た。 鍼灸師になるには三年間学校に通い、朝から晩まで授業を受けて、最後に国家試験に 臨まなければならない。 この年になって、今更そんな人生の大転換が自分にできるだろうか。 でも目の不自由な僕は、音楽の世界では数限りないハンディーを抱えている。 音楽家として活動して行く希望は、ほぼ閉ざされていると言っても過言ではない。 それでも今まで周りの人々の力を借りながら何とか無理矢理にでもやって来た。 それに比べて鍼灸は、昔から視覚障碍者の仕事として技術が伝えられてきた分野だ。 ここならハンディーをそう感じることもなく、自分の技術を磨いて行くことのできる 仕事ができるのではないのか。 その時の僕にはそれが楽観的過ぎる見解であることに気付く術もなかった訳だが。  しかし「この年で勉強に付いて行けるのか」「今までやって来た音楽の仕事をどう整 理するのか」「家庭を持ちながら生活費の問題はどうするのか」など、様々な問題が 山積し、何よりも未知の全く違う世界に足を踏み入れる勇気が持てぬまま、それから 10年が過ぎた。

 
 
 
  • 2018年4月27日
  • 読了時間: 2分

更新日:2019年4月11日


2018、4、10 舞台へのコンディションを維持するためにある鍼灸治療に出合ったことは前回に述べた。 知人に紹介されてその治療院で最初治療を受けた時は「は?ふざけんなよ!」と憤然とした思いで帰ったことを覚えている。 京都に住んでいたころも鍼灸に通っていた。 そこでは凝っている箇所、痛みのある箇所に鍼を入れて、頭の先から足の先まで15本から20本ほどの鍼を使う。 それに比べここでは膝から下、肘から先におよそ3本から4本ほどの鍼しか使わない。 そのくせ脈診ばかりに時間を掛け、治療時間は一時間半から二時間掛かることもある。 ここが苦しいという箇所には触りもしない。 何だかピント外れのところばかりに鍼をうって「はい、今日はこれで結構です」とあっさり言う。 「二度と来るか!」と思って治療院を出たが、一日二日すると問題の箇所の不快感は消えている。 それでも何だか釈然としないまま、一年ほどが経ってその治療院のことは忘れてしまっていた。 問題のある箇所にガツンと鍼をうつのが鍼灸治療だと思っていたのだ。 ところがそれから一年以上が過ぎたある時、それはどういう切っ掛けでそう思ったのか覚えていないが、またその治療院を訪れることとなった。 この時の訪問がなければ、鍼灸を学びたいと思う気持ちに繋がる道に足を踏み入れることもなかっただろう。 大変な舞台を控えた数日前であった。 どうしても声の調子が上がらず、藁をも掴む気持ちで訪問する気になったのだ。 多分もうやけくそだったのだと思う。 その時も手と足にほんの数本だけ鍼を使い、今度は今の体の状態、声を出すための体の健康であるべき機能、食事指導からその時間、睡眠のことまで細かく説明があった。 その時の診断では、日々胃に掛けている負担が、舞台本番前のストレスと共に声に影響している、ということだったように記憶している。 そして二日後の演奏会本番では、潤いのある柔軟な声を取り戻し、機嫌よく舞台を務めることができた。 「これはいったい何だ?」と、それを切っ掛けにこの治療院の流派に多大な興味を持つようになって行く。

 
 
 
  • 2018年4月27日
  • 読了時間: 1分

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皆さま初めまして。 大阪市西区阿波座で、新しく鍼灸院を開業しました茶木 敏行と申します。 変わった名前ですが、完全なる日本人です。 父も母も京都の人間で、したがって私も京都で育ちました。 幼児の時に眼病を患い、目が不自由だったため、小学校入学から高校卒業まで盲学校で学び、高等部在学中に声楽に興味を持ち、卒業後は芸術大学へ進み本格的に声楽を学び始めました。 その後西ドイツのケルンに渡り7年間滞在してから帰国して舞台活動を続ける中、歌い手としての体のコンディションを維持するために鍼灸治療に通うようになり、鍼の持つ不思議で奥の深い力に引かれて行きました。 10代のころから志して来た音楽と同様、一生懸命になれる分野に出会うことが出来、第二の人生を踏み出すこととなりました。 声楽と鍼灸は一見全く違う分野のように見え、実は同じく体の機能という観点から、とても共通する部分が多いのです。 毎日行う声楽レッスンでも鍼灸の知識を使った指導を進めていますし、鍼灸治療による舞台を控えた歌い手の皆さんの声と体のコンディションのサポートも行っています。 これからどうぞよろしくお願いいたします。


 
 
 

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