最終更新: 2019年4月11日



2018、8、8

押し流されるように国家試験の日が近づいて来る。

「よっしゃ、やるだけのことはやったのだから、どこからでもかかってこい!」とい

うのが理想だけど、なかなかそうはならないもので「あれもまだ頭に入ってないし、

あれはまた忘れてしまっているし、結局あれは理解できていないままだし」という箇

所が満載である。

それでも三年間自分への妥協を許さず、時間だけは十分にかけて真剣に取り組んでき

た、その集中した時間だけが自信のようなものとして胸中にあった。

その上僕は見えないくせに点字がおぼつかないという問題を抱えていた。

点字という技術は生まれつき見えない者でないとなかなかスムーズに使いこなせるよ

うにならない。

子供のころに会得しないとそうそううまくは行かないのだ。

それで学校内の試験、国家試験も含めて我々のような者はデージーというものを使

う。

特別な再生機器でCD-ROMに録音された問題文をイヤホーンで聴き、点字で解答番号

を記入していくのだ。

この録音を聴くという作業がとても時間がかかる。

学校での試験でもちょっと問題が多いともう時間が足りなくなって、最後の何問かは白

紙のまま提出という無念な思いをしたことがある。

最後まで解いてからもう一度見直す、なんて時間は毎回ない。

見直せないというのは大きなハンディーである。

でも「大変だね」なんて誰も労いの言葉はかけてくれない。

なぜならそういう問題を抱えたまま乗り越えて行く途中失明の者はとても多いのだ。

三年生になると通常の中間期末テストに加えて、様々な実力テストが入って来るので、

結局一年間、一か月に一回の試験をこなすこととなった。

クラスメイト中にはもちろん20代前半の者も多い。

彼らは頭が柔らかく、何でもスポンジのように吸収して行き、勉強慣れもしている。

僕のようなオジサンはそりゃ大変だよな、なんて悲観的になって先輩たちや後輩たち

のクラスを見てみると60代、70代の者がいて、素晴らしい成績を収めている。

やれやれ、甘えたことは言っていられないのである。

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最終更新: 2019年4月11日


2018、7、24

脈診という技術は大変奥が深く、いろんな読み方を組み合わせることで体の様々な訴

えを知ることができる。

僕がこの流派に心を寄せた大きな要因が、この脈診の技術にあった。

卒業研究発表に僕が選んだテーマが、この脈診のほんの一部を使って女性の月経につ

いての不快感を少しでも軽減できるか、というものであったため、頻繁に治療院に出

向き教えを乞うこととなった。

さてそこで初めて訓練を受ける訳だが、わくわくした好奇心もつかの間、脈診の難し

さの前に途方に暮れることとなる。

それはそうで、一般に「脈診30年」と言われるほど熟練を必要とされる技術なので

ある。

僕はその時点で無資格者だったので、学校外で鍼を持つことは許されない。

ただただ脈診の訓練を受けるわけである。

学校に行き、僕の研究発表の担当教員の先生にその悩みを訴えると、先生も一緒に治

療院に出向き勉強したいと言い出された。

僕は内心とても驚いた。

何故ならその先生は学内ではとても厳格で、学生の中でも最も恐れられていた存在で

あって、学校外の技術を持ち込むなど一番に反対するだろうと思われたからだ。

我々は授業が終わった夕方に何度も治療院に出向き、共に訓練を受けた。

先生はご自分の出来ないこと、知らないことを恥じて隠すのではなく、全く新しいこ

とを真っ白な心で進んで受け入れて行こうとされ、一学生である僕と共に、全くの初

心者として訓練を受けられたのだ。

学校での臨床治療の場で先生は指導者と言う立場を度外視して、我々二人は手探り状

態の同級生のように、相談し、意見を出し合い、困惑しながら治療、研究を進め

てデータを作成して行った。

この先生はなんと大きな人だろうと、僕は彼の背中を見ながら感動した。

結果僕の研究はとても楽しく、意味の深いものとなった。

今から思い起こせば赤面しそうな稚拙な内容のものだったが。

研究発表会の直前、レポートの冒頭に置く文章を先生に見てもらうため、職員室を訪

れた。

そこには「日本での脈診は未発達で、古くからの教えを無視した手探りの治療ではな

いか」というような攻撃的な内容が記されていた。

「ちょっとこれは過激すぎですかね?」と先生に問うと「いや、これでは生ぬるい、

もっとダイレクトに述べるべきだ!」と言われ、更に過激な内容にアレンジされてし

まった。

先生は僕を見てニヤっとされ「だって事実だからね」と言われたことを覚えている。

それは関連的にご自分を批判することにも繋がることで、先生の風刺精神と熱い

情熱に感服した。

そして研究発表の当日、文字通り僕の発表は喧嘩を仕掛けるようなものとなった。

発表を終え席に戻ると、先生が近づいてこられてポンと僕の肩を叩かれた。

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最終更新: 2019年4月11日


2018、7、10

人間社会というのは、いや動物社会でもそうだろうが、体内の免疫器官と同様、長い

年月においてその場に存在しなかったものは敵であれ見方であれ排除しようとする本

能が強く働くもののようである。

移植などで新しく入り込んできた異物に対してはかなり長い期間攻撃が行われ、その

まま排除されることもあれば、長い時間を掛けて体に有益であると認識されてようやく受

け入れられることにもなる。

僕においては、受け入れられるまでに要する時間、学校に存在することは許されなかった。

なぜなら三年生は一年間しかないからだ。

僕が言い出した卒業研究テーマは、今までに誰も手掛けなかった課題であり、しかも

その治療方法は教員全員が聞いたこともないものだった。

「この学校の方針以外の治療を持ち込むことは禁ずる」と学校側が言い切ってしまえ

ばよかったが、下手に黙認してしまったのだ。

なぜならそんな訳の分からない、自分たちが指導することも不可能なことを言い出す

学生は、学校始まって以来100年の間現れなかったのだろう。

臨床にお見えの僕担当の患者様から一人モニターになって下さる方を選び、12回の

治療にお付き合いいただいてそのデータを取り資料にまとめる。

そのような作業が始まってしまってから、少しずつ教員の先生方の心の中にいろいろ

な感情が芽生え始めた。

「わしの全く理解不可能なことをやりよって!」「脈診という学校内では誰も追及し

たことのない盲点を突かれて、これはちょっといずらい立場に追い込まれるな」「で

も何をやろうとしているか興味があるな」「ふん、どうせどこかのインチキ治療院の

インチキ流派を持ち込んで来たのだろう」「臨床の場としてはそのような学生の積極

的な意思を尊重してやりたいとは思う、また教員としてはそうでなければならないと

も思う、でも腹が立つ」というような感情が入り混じって渦巻いたのではと想像された。

そしていろんな先生が僕のところにやってきて、様々なことを言って去って行った。

中には一年間うじうじ意地悪をし続けた者もいた。

その先生は我々の座学も担当していて、僕は国家試験までずっと憂鬱な問題を抱えた

まま通学しなければならないこととなった。

授業中僕が質問をしても無視するとか、わざと僕のいやがるようなことを言ってみた

り、難癖をつけて担当の患者様から僕を外したり、というような極めて幼稚なものだ

ったが。

先生が成績を付ける以上、これははっきりとパワハラである。

この先生においては、最も強い免疫反応と言えただろう。

そんな中、臨床での研究発表の僕担当に任じられた先生が救い主となった。

僕は今でもこの先生に心からの敬意を示している。

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