最終更新: 2019年4月11日



2018、6、24

学校での生活も少しずつ慣れ、二年間が過ぎ、僕は最終学年の三年生を迎えていた。

いよいよ国家試験を意識しない訳にはいかなくなってくる。

と共に、二年生までの按摩臨床に加えて、鍼臨床が入って来る。

臨床というのは、校舎の一階に設けられた臨床室に近所の方々が来られて、我々学生

の治療を受けて下さり、若干の治療費をいただくというものである。

もちろんその治療費は我々学生の財布には入らない。

臨床に必要な諸々の経費に使われるのだ。

もちろん我々学生は無資格で、先生が横に付いて指導しながらという条件付きで政府

から許可をもらっている行為で、患者様はその研究に協力するというのが名目である。

三年生では秋に卒業論文として一つの研究テーマを決めて、それを臨床での治療経過

と結果に基づいて資料をまとめ、全学生、先生方の前で発表しなくてはならない。

そのためにも一人の患者様を選んで、何回かの治療にご協力いただくことをお願いす

る。

僕は女性の月経にまつわる様々な不快感をどのように軽減するか、ということをテー

マに研究することとした。

しかし、そのような治療は今の日本での一般的な鍼治療では不可能なのである。

もちろんそこには、卒業後に僕が弟子入りする流派の治療を用いて、という狙いがあ

った。

このことがやがて学校内での煩わしい問題を僕にもたらすことになる。

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2018、6、7 学校に入学してすぐぐらいの時に、ずっと通い続けて来た治療院の医院長に「学校に 入学して資格を取るべく3年間通います。 晴れてライセンスを取得できたら、是非こちらの治療院で修行をさせていただきたい のです」と強くお願いした。 患者として10年間通い続け、僕がここの治療にどれだけ深い興味を持っているかは 理解していただいていたこともあり、弟子入りを許可してもらうことができた。 大きな夢に向かって歩み出すのはいいが、日々やるべきことは、目の前の現実と戦う ことだった。 必死の思いで中間テストを乗り越えると、またあっと言う間に期末テストがやってく る。 その間には容赦なく何百ページ授業は進み、驚くほど広い試験範囲に溜息が出る。 それがいくつもの科目に渡るのだ。 最初のうちは「こんな広い試験範囲を勉強するのは不可能だ!」と途方に暮れたが、 何でもやってみれば人間やり熟せるもので、少しずつ勉強にも慣れて行った。 それぐらいのスピードですべての授業を進めなければ、三年間で国家試験を受けるた めの知識に間に合わないのだ。 やはり費やす時間は相当必要とされ、休日の日は16時間机の前に座って食事する時 間も、風呂に入る時間も惜しく、箸を持ったままパソコンを操作しながらだった。 一年生の初めての試験が終わった時、とても久しぶりに陽の光、鳥たちの声、戦ぐ風 を感じて外を歩いたことを覚えている。 そして要約初めての夏休みを迎え、やれやれと一息ついたのもつかの間、休み明けに 控えている校内実力テストに向かって毎日14時間以上パソコンに向かった。 そして8月半ばごろ、突然突発性難聴を発症し、病院に通うこととなった。

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2018、5、17

国家試験を受ける資格として、学校機関で三年間医学の基礎について勉強し、そこを

卒業したという証明がいるので、成績、出席日数などが必要となる。

僕は学校に通いながら仕事を続けるため、学校の近くに下宿することとした。

朝8時に学校に入り、3時半に学校を出て、音楽の仕事を終えて部屋に戻るのは9時。

そこから急いで風呂に入り、出来るだけ10時にベッドに入る。

次の朝5時に起きて、学校に出るまでに前の日の復習と今日の予習をして部屋を出て

、学校までの道のり15分を歩いて登校する。

その果てしない繰り返しの日々であった。

勉強内容は想像を遥かに超える難しさで、日々授業に付いて行くだけでアップアップ

していた。

あたりまえだが、学ぶ内容はすべて医学的なことで、実技の授業で白衣を初めて着た

時は、全く未知の世界に迷い込んで途方に暮れるような気持ちを覚えたことを記憶し

ている。

毎日が精一杯で、毎日声楽のレッスンは行っていても、生徒さんから見ればやはり心

ここにあらず、と見えていたのだと思う。

少しずつ離れて行く生徒さんや合唱団員が後を絶たなくなった。

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