「鍼灸治療の流派、パート17」大阪市、西区、阿波座


2019、8、1

一日目の按摩マッサージ指圧の試験もすでにものすごく難しく、冷や汗の連続だった。

午前中3時間、午後から3時間の試験時間を終えた時にはへとへとだった。

これじゃ明日の試験が思いやられる。

時間に流されるように次の日を迎え、鍼灸の試験日。

計算しなくてはならないまるで数学みたいな問題の連続。

見えている者は紙に書いて計算すればいいが、点字の者は暗算である。

どこかで小さなミスから答えが大きく違ってしまう危険もあちこち。

「残り時間一時間」と言われた時にまだ半分しか解答できていなくて、冷や汗が出て

かなりの焦りに襲われる。

これはやばい!と思い、最後の方の分かりやすい問題から先にかたづけ、また戻って

顔をしかめながら恐ろしく難しい問題に取り組む。

結局、何とか全問に答えることができたが、見直す時間はもちろんなし。

それに加えて自分が記した答えを全部メモ用紙に写して会場を出なくてはならない。

何故なら合格・不合格の通知は1か月以上先になるので、自己採点するのだ。

「はい、そこまで!」という声でようやく我に返る。

答えのメモもぎりぎり間に合って、大きく溜息。

不安いっぱいのまま解答用紙の提出。

朝9時から、夕方4時までの試験はこれで終了。

でもとりあえずこれですべてが終わった、と実感した。

学校外から来られている非常勤の先生が聞いて「なんと、至れり尽くせりやな!」と

驚かれていたが、そのメモを見て点数を出すのは先生方なのである。

まず職員室の先生方が皆さんで今回の国家試験の問題を解き(その解答自体が間違っ

ていることはないのか?と思ってもみたが)、受験生のメモを見て(そのメモも正確な

のかとも思うが)点数予想をはじき出すのだ。

先生方はその作業をその日のうちに遅くまでかかってされる。

我々はひたすら不安な気持ちで教室の机について結果を待つ。

その間に皆で記憶に残っている問題を言い合って、教科書やプリントで確かめてみる

と、皆間違いだらけ。

あまりの難しさに全員が肩を落としているところに、さらに不安が募る。

全員が無口になり、溜息ばかりが聞こえる。

「今年に限ってどうしてこんなに難しいんだよ」と嘆く者も。

僕も何だか絶望的な気分になってきて、来年の試験までをどうやって勉強しようか、

なんて思案し始める。

夜も9時を過ぎたころに「結果が出ましたので、出席番号ずつ廊下に出て来て下さい。」

という担任の声がした。

結果を聞いたものはそのまま下校することになっているので、一人ずつ鞄を持って廊

下に出て行く。

僕の番が来て、廊下に出て行くと薄暗い隅に資料を手にした担任が立っていた。

「茶木です、お願いします」と言って前に立つと「茶木さん、昨日今日の試験ですべ

て合格していますよ」となんでもないという風に通知される。

僕はその場に膝から崩れそうになるのを堪えるのに必死だった。

「まあ、大分余裕を持って合格ですねこれは」と資料を見ながら担任は言う。

受かりさえしていれば点数なんてもうどうでもいい、と思いながら頭を下げて下駄箱

に降りる。

他のクラスメイトたちともそこで会ったが、合格していない者もいるので、あからさ

まには喜びを外に出さず、静かに下校。

それでも一か月後に正式な合格通知が協会から郵送されてくるまでは、完全に不安が

消えた訳ではない。

その気持ちのまま、一週間後に卒業式。

前日には体育館で何度も入場や立ったり座ったりの練習が行われ、この歳で卒業式が

もう一度体験できるなんて、何という喜びだろうと感激する。

当日下級生の拍手の中をゆっくりと前の席に向かって歩く。

僕より若い校長先生に名前を呼ばれて「はい」と答えた時も、三年前に大きな不安を抱

えて入学式に臨んだ時を思い出した。

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