「鍼灸治療の流派、パート20」大阪市、西区、阿波座

2019、12、30

それでも怪我から一週間後にはゆっくりゆっくり歩きながら阿波座の教室まで出かけ

てレッスンを行い、合唱団の指導も行っていた。

指揮をするのは、これは激痛である。

普通に指揮が振れるようになるまでには2か月はかかっただろうか。

今回もまた背骨や骨盤を骨折したり、頭を打ったりしなかったことをいるかいないか

分からない神に感謝しながら痛みに耐えた。

僕の卒業後に描いていた目標は「四つどもえの生活」というものである。

治療院開業・どこかの治療院への勤め・師匠のところでの修行、それから従来までの

音楽の仕事である。

この四つを並行して熟して行くのである。

肋骨に響く鈍痛を抱えて、まずは開業手続きの手筈、雇ってくれる治療院探し、それ

と時間を見つけて修行に出かけることを始めた。

そうこうして数か月が経つと10月になり、以前から皆で計画し推進してきたNSK

合唱コンビナーレの演奏会本番が近づいて来た。

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