「鍼灸治療の流派、パート21」大阪市、西区、阿波座

最終更新: 2月16日

2020、1、22

卒業した年の秋に企画していたショスタコービッチ作曲「森の歌」の演奏会があり、

3月に卒業してからはその準備に追われた。

茶木鍼灸院の開業へ向けての手続きも終え、それと同時に勤め先を探してみる。

学校から一つ推薦してもらっていたが、もっと自分のやりたい仕事をやらせてくれる

ところがあるはずだ、と思い400店ほどをピックアップして片っ端から電話をかけて

雇用してもらえるかを尋ねて行く。

見事にすべてアウトである。

ライセンスを取得したとはいえ、現実はすぐに仕事にありつける訳ではないようだ。

そうこうしているうちに10月の演奏会本番を迎えた。

何とか大成功に終えることができてほっと胸を撫で下ろす。

そのころにはもう肋骨の痛みは感じなくなっていた。

開業した茶木鍼灸院はホームページを開設してチラシも撒いた。

年末までいくつかの演奏会に出演して年を越した。

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