「Let's begin、パート10」大阪市、西区、阿波座

石川達三という作家の「生きている兵隊」という作品を読んだ。

読み終わった時、強いショックが残った。

これは限りなく事実に沿ったフィクションであると言われる作品だからである。

一個連隊が南京攻略のために目的地まで向かう間を描いたもので、その一個連隊の中

の4人ほとの男たちにスポットを当てた話である。

石川氏は実際に従軍作家として戦場に駆り出された中でのルポを、そのまま何の思想

も考慮も交えず作品とした、と述べている。

言い換えれば日本軍側に立たず、中国一般庶民側に立つこともなく事実に基づいて描

いたと。

だからこそ事実の前に大きな衝撃を受けたのである。


四人の登場人物にはそれぞれに人間的な迷い、葛藤、錯乱、精神的分裂の様が人間臭

く描かれ、個人に寄り添った描写も含まれる一方、銃弾が頭の上を飛び交い、さっき

まで話をしていた戦友が横でどんどん死んでいく戦禍の中、今日か明日にも死に至る

かもしれない異常なストレスの中で、人間的平衡を失って行く彼らの様が描かれる。

結果彼らは完全なサイコパスへと変貌し、現地の非戦闘員に対し略奪、強姦、殺人を

繰り返す。

陥落した南京では町へ出かけて行ってはクーニャンを凌辱し、目的を果たした後には

それを殺戮して、彼女たちの指輪を自分の指にはめ換えて公然と帰って来る。

夜には酒を酌み交わしながら指輪を見せびらかし、今日手に掛けたクーニャンのこと

を笑いながら話す。

厨房で働かせている中国の青年の一人が棚から砂糖を盗んで舐めた、というだけで言

い訳もきかずにその場で刺殺する。

この4人の中には無教育な者はなく、元医学生、小学校の教師などもいる。

ここでは敵国の人間は虫けら以下であり、いくら殺戮しても、強姦しても全く咎めら

れることはなく、その行為を公然と認められている。

そこには戦闘員が戦闘服を脱ぎ捨てて一般庶民に紛れ込んだ、という理由もあるが、

結果南京の町で数十万の現地の人々が殺戮された、いわゆる南京大虐殺が行われる。


人間が凶暴な鬼と化すのは、なにも戦禍の中だから、という訳ではないのだろうと思う。

もし今でもそのような状況に置かれたら、教育も何もかも吹き飛んで、男たちは鬼と

化すだろう。

まさか、と笑うかもしれない。

いや、人間の中の潜在的サイコパスは教育と倫理でインスタントに封印されているだ

けで、いつその戒めを破って恐ろしい姿を露わにするか分からないのだ。


我々の奥底に潜む鬼を思う時、いつも僕の背筋には戦慄が走る。

閲覧数:6回0件のコメント

最新記事

すべて表示

先日奈良県郡山市の近鉄郡山駅と筒井駅の間の小さな踏切で、全盲の女性が電車には ねられ死亡した。 事故の処理に当たった警察によると30代から40代の女性、とされていたが、身元 が分かれば丁度50歳だったらしい。 現場には白杖と障害者手帳の入ったバッグが散らばり、それから本人が倒れていた。 おそらく電車にはねられた、というよりはひっかけられた、という風だったのではな いだろうか。 でもとにかく彼女は命

近年食べ物に関してはどうも日本食ばかりに気が向く。 鰹、昆布、いりこ出汁の香りの料理がとにかく何ともほっとした気持ちにさせてくれる。 そういった出汁の香りを嗅ぐと、いつもお婆ちゃんの家が目に浮かぶ。 京都の御所の近くのとても古い町屋。 犬矢来の脇の格子戸を開けて暗い家に入ると、石の床の廊下が裏庭まで真っ直ぐに伸 びている。 鰻の寝床である。 廊下の左に、台所を挟んで三つの大きな部屋が細長く並んでい

皆さんももう気付いていることとは思うが、このところ家庭内の虐待で子供が命を落 としている事件があまりにも多い。 誰もがこの悲惨な事件を直視することができず、別世界の出来事としてそこに視線を できるだけ向けないようにして生きているはずである。 しかしこれは我々の中にも含まれている問題だろうと僕は考える。 平安時代比叡山で権勢を振るっていた寺の僧兵たちが、定期的に馬で群れを成して京 都の町を襲い、市民