今、河村元気という人の小説を読んでいる。
この人は映画プロデューサー、脚本家などを仕事にしている人なので、小説は数える
ほどしかないが興味深いものを書いている。
彼が書くものを要約すると、人間はこの世に生を受けて本来何を求めて生きているの
か?という大テーマがあるようだ。
一つの話では、ある男が宝くじで3億円手にする。
そこで彼はその金を使って自分は何がしたいか、ということを10項目上げてみる。
借金を返す、家を新築する、世界一周の旅、毎週ゴルフに出かけて、毎日高級レスト
ランで食事して高級バーで酒を飲む。
腕組みをしながら考えて10項目上げてみても、どれもこれも心底うきうきはしない。
どれもこれもすぐに飽きてしまうだろうし、今までできなかったことをやってみたい、
というだけの一時的な興味に過ぎない。
また別の話では、病院で後一か月の余命を告げられる。
一か月の間に自分のやりたいことを精いっぱいやろう、と心に決めるが、それを10
項目上げようとしてもなかなか考え付かない。
主人公は呆然としてしまう。
そして最後に思いついたのが、初恋の彼女に10年ぶりに会いに行く、ということだ
った。
ところが彼女に会って余命のことを打ち明けても「そうなの?」と言われただけ。
おまけに付き合っていたころの不満を散々愚痴られて別れた。
女性は決して後ろを振り返らない生きものなのだ。
主人公たちが本当に求めているもの、心から幸せと感じられることは意外に金銭とは
関係のない子と、もしくはさほどの費用を要さないことがほとんどであることに気付く。
自分のことと鑑みても、確かにその通り。
自分が本当に幸せを感じられること、心から求め続けられることは金銭を必要としな
いことばかり。
でも手に入れるのがとても難しいことばかり。
彼の小説で幾度も紹介されるチャーリー・チャップリンの「ライムライト」の中のセ
リフに「人が生きるために必要なのは、切望、勇気、そして少しばかりの金さ」とい
うのがある。
人々は若い時には自分が何が好きなのか、何を求めているのかを探す心を持っている。
しかし年を重ねるごとに金銭を手にすることだけに切望を集約されて行く。
おそらくそれは切望する対象を見失うからだろう。
貧乏な者も欲しいものが手に入らず、金さえあれば幸せを満喫できる、と勘違いし始める。
我々は本当は何を求めて生きているのだろう。
ふと立ち止まって、空を見上げて考えてみる必要があるかもしれない。
Comentários