「Let's begin、パート13」大阪市、西区、阿波座

僕は彼がまだそれほど有名でないころから、何かの切っ掛けがあって彼の作品を読む

ようになっていた。

村上春樹。

いわゆる彼は突然に現れた。

何か大きな賞を取った訳でもなく、マスコミが飛び付きそうなドラマチックな背景が

ある訳でもなく。

ノルウェーの森がベストセラーになる前も、目立たないところでしこしこ作品を書い

てファンを少ないながらも獲得していた。

いわゆる文壇に認められてマスコミに押し出された作家ではなく、頭から読者にこわ

れて現れた作家と言えよう。

ノルウェーの森がベストセラーとなった後、文壇からの執拗な攻撃(虐め)が加速する

中、そのあまりのうっとうしさに日本を出てアメリカに渡り、ニューヨークの町を自

分の足で歩いて出版社を探したらしい。

いくら日本でベストセラー作家となっても、アメリカでは全くの無名。

一からの出発であったと。

しかし彼自身が把握していたかしていなかったか、彼の描く世界は、どの国でも受け

入れられるという性質を備えていた。

彼の描くものは、とても個別的で限定された日本社会の話が多いのだが、それがどう

して西洋でもアジアでも世界の人々に受け入れられるか今でも不思議だが。

とにかくそのことで今毎年ノーベル文学賞の候補に挙がる訳だが、一ファンとしては

そんなしゃらくさいものを取って欲しくない。


彼の作品には不思議な特徴がいくつか見られる。

読者をとても強い力で渦に引き込んで、そこから抜け出せなくするほどの魅力を与え

る一方、人によっては、いくら心を開いて読み返しても何が良いのか、どこが良いの

か全く理解できない、という者も多く存在するのである。

僕の周りにもそういう読者は何人もいるし、あの本好きの武田鉄矢さんも、村上さん

の本は何度か挑戦したけど何を書いているのか全く理解できない、とラジオで述べて

いた。

僕はもちろん前者のタイプで、読んで何が理解できないのかが理解できないのだが。


春樹さんの作品は、一回読むのと、二回三回読み返すのでは全く違う話に変貌する。

また読む時期を数年置いてから読み返すと、これまた印象ががらりと違ってしまうの

も特徴である。

ちなみに同様の現象を漱石の作品でも感じる。

「騎士団長殺し」という作品があるが、僕はこれを読んだ時に「ああ、春樹さんもも

うそろそろ終わりだな」と感じた。

がっかりしてしまったのである。

「1Q84」も同様にがっかりした。

何を描きたいのかが定まらず、読者にあっと思わせる幻想的な表現、アイデアばかり

が目立っているように思えたのだ。

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」もまた同様。

それで数年彼の作品を読まなくなった。

先日久しぶりに「騎士団長殺し」「1Q84」をじっくり読み返してみた。

すると前回読んだ時の失望は全く感じられず、描こうとする物がくっきり見えて来た。

あれから改定した?と思えるぐらい印象が違う。

ぐいぐい引き込まれて一気に読んでしまった。

一度読んだぐらいでは読み手の記憶、理解、印象は曖昧なものだな、と痛感した。


どの作家でも結末を締めくくらず読者を放り出す、という手法が多いが、春樹さんの

作品に関してはそれが著しく激しい。

起承転結がないのだ。

そこが人によっては何を書いているのか理解できない、という感想になるのかもしれ

ない。


いずれにしろ僕は彼から受けた知識や考え方、はっと思わせる感じ方の転換など、多

くの影響を受けて来た。

自分とは全く違う人物だからこそ面白い。

様々な理由で、彼は現代の人気作家というだけではなく、歴史に残って行く作家のひ

とりではなかろうか、と思っている。

数十年経っても彼を研究する学者が現れるような。

ノルウェーの森で永沢さんが言っているように「文学でも音楽でもその他一般芸術に

おいて、時間の洗礼を受けられるものはとても少ない」と。

もちろん優れた作家というのは頭が良い、知識があるというだけでは成立しない。

本人にさえ把握できない素質のようなものが必要なのだろう。

僕にとっては彼によって考え込まされる、もしくは感じ方を転換させられてしまう、

というところですでに重要な存在である。

まだまだ老け込む歳ではないし、これからも新たな挑戦を楽しみにしたい。

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