近年食べ物に関してはどうも日本食ばかりに気が向く。
鰹、昆布、いりこ出汁の香りの料理がとにかく何ともほっとした気持ちにさせてくれる。
そういった出汁の香りを嗅ぐと、いつもお婆ちゃんの家が目に浮かぶ。
京都の御所の近くのとても古い町屋。
犬矢来の脇の格子戸を開けて暗い家に入ると、石の床の廊下が裏庭まで真っ直ぐに伸
びている。
鰻の寝床である。
廊下の左に、台所を挟んで三つの大きな部屋が細長く並んでいる。
台所にも部屋にも窓と言うものがない。
突き当りの狭い縁側からのみ陽の光が入って来る。
家中には鰹出汁と昆布出汁の香りが充満していて、何十年の暮らしで染みついた糠の
香りが漂っていた。
綺麗な京都弁を話すお婆ちゃんが台所から顔を出して「はい、いらっしゃい」と微笑む。
ああ、あの嫋やかな京都弁を僕はいつも傍らで耳にしていた。
今はもうどこに行っても聞くことができない言語。
古い町屋、鰹出汁の香り、お婆ちゃんの京都弁。
それらが一体となっていつも美しい記憶として蘇る。
固形や粉の市販される出汁の香りでは、あの記憶は蘇らない。
出汁を取って料理をするという日本の味覚は、なんと美しい文化であろうか。
今となってみれば、僕にとっての故郷である京都は、母親よりも祖母に端を発してい
るようにさえ思える。
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