「Let's begin、パート18」大阪市、西区、阿波座

今読んでいる本が浅田次郎の「あやし うらめし あな かなし」という短編集で、

その中にお女郎さんと帝大の学生が心中する話が出てくる。

女性はまだあどけなさの残る二十歳前である。

当時の多くの女性は親に売り飛ばされて、金で売買された瞬間から人ではなく物となる、

という一文が出てくる。

そして長い年月奴隷としてどのような悲惨な運命を辿ることか。

僕は昔からこの何百年続いた廓制度というものに深い憤りを抱いてきた。

そして1945年敗戦と共にアメリカ軍の統治下のもと、この廓制度も廃止された。

敗戦は辛く悲しい、そして水面下で今も続く辛い歴史だが、廓制度という

ものが消えて、大人たちの身勝手さから売り飛ばされ続けた罪もない少女たちの

運命が救われたことで、ほっとする一面もある。

ロシア革命によって金のあるものが貧乏な人々を物として扱う奴隷制度が消え、

太平洋戦争での敗戦によって日本の奴隷制度にもピリオドがうたれた。

そして今ウクライナで再び同じような犠牲となっている女性たちがいる。

ロシア人たちの戦場での性暴力は、昔日本人がロスケと罵った通り酷いもので、

それは何百年経っても変わらないようである。


昔の日本の廓の話を聞かされても、ドラマの中のこと、遠い伝説のようなことと思う

だろう。

でもほんの75年ほど前まで大々的に認められていた制度だったし、戦後でも水面下

では継続して来たことなのだ。

生きるためとはいえ、親が娘を、今で言う反社会団体に売り飛ばす。

娘がどんな目に合うかは親たちは分かっているはずだ。

家にいるよりは良いものが食べられて、うまくすれば綺麗な着物も着ることはできた

だろう。

でも監禁されて反吐を吐くようないやな仕事を毎日毎日やらされる。

難波病院に送られでもしたら、死ぬより辛い毎日だったという。

そして自ら命を絶つか、病気で苦しんで死ぬか。

そんな罪もない彼女たちを世間は女郎と言って蔑む。

年季が明けて家に戻れたとしても、親はやっかいものとして顔をそむける。

そんな酷い話を忘れていいのか。

そんな彼女たちの運命を昔話として遠いところに置いて白々しく眺めていいのか。


こんなことに思いを巡らせてずっと憤っているのはぼくだけだろうか。

他人の苦しみを我が身に置き換えて感じようとする行為。

それを薄れさせると再び我々の中に備わっているスイッチがカチンと音を立てて入る。

倫理がかき消され、教育が崩壊し、社会が欲望と憎しみに侵食され始める。

それが親の愛を受けられない子供たちの目つきを変え、貧困が他者を大事にする心を

喪失させる。

それが今まで何度も何度も繰り返されて来た無自覚さだ。

結果誰かの金儲けのために誰かを苦しめ続けることを何とも思わなくなる。


僕は、せっかくこの世に生を受けて女性として当然与えられた自由という権利を、誰

かの金儲けのために踏みにじられ、淡雪のように消えて行った人たちの魂を、ことある

ごと心の中、鎮魂の祈りを捧げたいと思う。

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