「Let's begin、パート7」大阪市、西区、阿波座

ここで語ることは、社会的モラルに僕が逆らうような発言でもあるので、あるいはデ

ンジャラスな話題でもある。


先日どこかの町で、60代男性が、パーキングで見かけた若い男性がノーマスクであ

ったことに腹を立て「おい、マスクせいや!」と絡んで若い男性の背中を押したこと

でつかみ合いになり、60代男性は倒されて首を絞められた、という事件があった。

男性は倒れた時の打ち所が悪くて、脊髄損傷を起こして下半身不随となったらしい。

若い男性は傷害罪で逮捕。

車椅子生活を余儀なくされた男性は「あんなことを言わなければよかった」とコメン

トしているらしい。


さてこの事件を聞いて、僕はつくづく考えさせられる。

まずこの男性二人は互いに手を出してしまったことで特別な例と言えるし、どっちも

どっちである。

ただ、我々にとってマスクとは一体何なのか、ということを今一度考えてみる必要が

あるのではないだろうか。


感染対策は皆で足並みを揃えてかからないと意味がないし、こういう非常事態だから

こそ全員が一丸となって感染を抑える努力をする必要がある。

一方一日中マスクを着用していることによる害もあるのでは、と僕は感じている。

我々は新しい酸素を吸って、CO2を吐いて血液のガス交換を行っている。

ほんの一時期に着用するマスクなら問題ないが、2年間長時間マスクを着用したまま

生活していることで、自分の吐いたCO2が血管内に蔓延し様々な身体的、また精神的

問題を引き起こし始めているのではないか、と僕は考えている。

少なくても僕自身はその害を感じている。

生き残りをかけて変異し続けるウィルス。

飛沫感染という感染形態からデルタ株を皮切りに空気感染を主体と変化してきてい

る変異株。

いまやマスクはほとんど意味を成さないのが現実ではないだろうか。

マスクを着用していても、呼吸が出来ている限り感染をシャットアウトすることは出

来ないのでは。

それでもマスクは着用するべきだろう。

ただ科学的に、疫学的に考えて着用の必要のない場所もあるのではないだろうか。

そのような場所ではできるだけマスクを取りたい。

一定の屋外でのマスク着用は必要がないのでは、と僕は考えている。

感染は建物内で遂行される。

この国のことだから、皆がマスク着用を徹底していたデパ地下でデルタ株が蔓延した

ことを見ても、密閉した建物内、マスクが意味を成さない、という結果を示している。


日本社会の良いところであり悪しきところでもあるモラルという概念。

マスクをしていること自体がモラルとなって、その社会的ルールに反している者を批

判し、排除しようとし始める。

これもマスクがもたらす大きな害の一つである。

戦時中と同様、非理論的なモラルが独り歩きすることによって生まれる蔑視、虐め、

嫌悪が我々の心を荒ませる。

無自覚に受け続けるマスクによるストレス、その独り歩きするモラルに僕は疑問を呈

したいのである。


専門外である我々は、マスコミによってもたらされる情報を信じるしかない。

でもその情報が本当に裏付けされたことなのか。

確信をもって信じることができるのか分からないのだ。

でも我々はマスコミを指導者として取り入れるしかない。

そのようにして社会的モラルが確立して行く。

それでいいのだろうか。

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