2018、7、10
人間社会というのは、いや動物社会でもそうだろうが、体内の免疫器官と同様、長い
年月においてその場に存在しなかったものは敵であれ見方であれ排除しようとする本
能が強く働くもののようである。
移植などで新しく入り込んできた異物に対してはかなり長い期間攻撃が行われ、その
まま排除されることもあれば、長い時間を掛けて体に有益であると認識されてようやく受
け入れられることにもなる。
僕においては、受け入れられるまでに要する時間、学校に存在することは許されなかった。
なぜなら三年生は一年間しかないからだ。
僕が言い出した卒業研究テーマは、今までに誰も手掛けなかった課題であり、しかも
その治療方法は教員全員が聞いたこともないものだった。
「この学校の方針以外の治療を持ち込むことは禁ずる」と学校側が言い切ってしまえ
ばよかったが、下手に黙認してしまったのだ。
なぜならそんな訳の分からない、自分たちが指導することも不可能なことを言い出す
学生は、学校始まって以来100年の間現れなかったのだろう。
臨床にお見えの僕担当の患者様から一人モニターになって下さる方を選び、12回の
治療にお付き合いいただいてそのデータを取り資料にまとめる。
そのような作業が始まってしまってから、少しずつ教員の先生方の心の中にいろいろ
な感情が芽生え始めた。
「わしの全く理解不可能なことをやりよって!」「脈診という学校内では誰も追及し
たことのない盲点を突かれて、これはちょっといずらい立場に追い込まれるな」「で
も何をやろうとしているか興味があるな」「ふん、どうせどこかのインチキ治療院の
インチキ流派を持ち込んで来たのだろう」「臨床の場としてはそのような学生の積極
的な意思を尊重してやりたいとは思う、また教員としてはそうでなければならないと
も思う、でも腹が立つ」というような感情が入り混じって渦巻いたのではと想像された。
そしていろんな先生が僕のところにやってきて、様々なことを言って去って行った。
中には一年間うじうじ意地悪をし続けた者もいた。
その先生は我々の座学も担当していて、僕は国家試験までずっと憂鬱な問題を抱えた
まま通学しなければならないこととなった。
授業中僕が質問をしても無視するとか、わざと僕のいやがるようなことを言ってみた
り、難癖をつけて担当の患者様から僕を外したり、というような極めて幼稚なものだ
ったが。
先生が成績を付ける以上、これははっきりとパワハラである。
この先生においては、最も強い免疫反応と言えただろう。
そんな中、臨床での研究発表の僕担当に任じられた先生が救い主となった。
僕は今でもこの先生に心からの敬意を示している。
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