「鍼灸治療の流派、パート8」大阪市 西区 阿波座

最終更新: 2019年4月11日


2018、7、10

人間社会というのは、いや動物社会でもそうだろうが、体内の免疫器官と同様、長い

年月においてその場に存在しなかったものは敵であれ見方であれ排除しようとする本

能が強く働くもののようである。

移植などで新しく入り込んできた異物に対してはかなり長い期間攻撃が行われ、その

まま排除されることもあれば、長い時間を掛けて体に有益であると認識されてようやく受

け入れられることにもなる。

僕においては、受け入れられるまでに要する時間、学校に存在することは許されなかった。

なぜなら三年生は一年間しかないからだ。

僕が言い出した卒業研究テーマは、今までに誰も手掛けなかった課題であり、しかも

その治療方法は教員全員が聞いたこともないものだった。

「この学校の方針以外の治療を持ち込むことは禁ずる」と学校側が言い切ってしまえ

ばよかったが、下手に黙認してしまったのだ。

なぜならそんな訳の分からない、自分たちが指導することも不可能なことを言い出す

学生は、学校始まって以来100年の間現れなかったのだろう。

臨床にお見えの僕担当の患者様から一人モニターになって下さる方を選び、12回の

治療にお付き合いいただいてそのデータを取り資料にまとめる。

そのような作業が始まってしまってから、少しずつ教員の先生方の心の中にいろいろ

な感情が芽生え始めた。

「わしの全く理解不可能なことをやりよって!」「脈診という学校内では誰も追及し

たことのない盲点を突かれて、これはちょっといずらい立場に追い込まれるな」「で

も何をやろうとしているか興味があるな」「ふん、どうせどこかのインチキ治療院の

インチキ流派を持ち込んで来たのだろう」「臨床の場としてはそのような学生の積極

的な意思を尊重してやりたいとは思う、また教員としてはそうでなければならないと

も思う、でも腹が立つ」というような感情が入り混じって渦巻いたのではと想像された。

そしていろんな先生が僕のところにやってきて、様々なことを言って去って行った。

中には一年間うじうじ意地悪をし続けた者もいた。

その先生は我々の座学も担当していて、僕は国家試験までずっと憂鬱な問題を抱えた

まま通学しなければならないこととなった。

授業中僕が質問をしても無視するとか、わざと僕のいやがるようなことを言ってみた

り、難癖をつけて担当の患者様から僕を外したり、というような極めて幼稚なものだ

ったが。

先生が成績を付ける以上、これははっきりとパワハラである。

この先生においては、最も強い免疫反応と言えただろう。

そんな中、臨床での研究発表の僕担当に任じられた先生が救い主となった。

僕は今でもこの先生に心からの敬意を示している。

10回の閲覧

最新記事

すべて表示

「鍼灸治療の流派、パート23」大阪市、西区、阿波座

皆さんの家で使用している塩はどのようなものですか。 食塩と呼ばれているものですか、それとも天然塩ですか。 治療に来られる50歳以上の方々は、驚くほど皆血圧降下剤を飲んでいます。 医師に勧められて飲まされていることもありますが、血圧が高くなる原因を 年だから、と納得している人がほとんどです。 しかしこれが年とは関係なく、日常口にしている塩が原因とすればどうでしょう。 スーパーなどで売っている白いさら

「鍼灸治療の流派、パート22」大阪市、西区、阿波座

2020、5,5 阿波座に茶木鍼灸院を開設して、2年が過ぎようとしていた。 そのころも時間を見つけては師匠のところに通い、その都度ボロクソに言われながら も、少しずつでも技術を盗もうと躍起になっていた。 厳しい指導を受けながらも不思議とそれさえとても楽しく、その都度確実に獲得して 行く知識と技術を楽しんでいた。 一方、一年間勤め先を探し回った末、そのころには結局卒業時に学校から

無題   大阪市、西区、阿波座  

2020、4、20 次に思い出すのが、僕が歌の勉強のためにドイツに旅立つ日、家の近くのスーパーの 前まで一緒に歩いて、大きなスーツケースを転がす僕を見送って「ほな、元気に行っ てらっしゃい!」と声を掛けた母。 その後、僕は7年間帰国しなかった。 帰ったら妹に双子の子供が生まれていて、もう三歳になっていた。 母はお土産に持ち帰った香水を嬉しそうに服の上から振りかけていた。 それ以後を思い出そうとして

© 茶木鍼灸院 All rights reserved.

  • Black Facebook Icon
  • Black Instagram Icon
  • Black Twitter Icon