2018、7、24
脈診という技術は大変奥が深く、いろんな読み方を組み合わせることで体の様々な訴
えを知ることができる。
僕がこの流派に心を寄せた大きな要因が、この脈診の技術にあった。
卒業研究発表に僕が選んだテーマが、この脈診のほんの一部を使って女性の月経につ
いての不快感を少しでも軽減できるか、というものであったため、頻繁に治療院に出
向き教えを乞うこととなった。
さてそこで初めて訓練を受ける訳だが、わくわくした好奇心もつかの間、脈診の難し
さの前に途方に暮れることとなる。
それはそうで、一般に「脈診30年」と言われるほど熟練を必要とされる技術なので
ある。
僕はその時点で無資格者だったので、学校外で鍼を持つことは許されない。
ただただ脈診の訓練を受けるわけである。
学校に行き、僕の研究発表の担当教員の先生にその悩みを訴えると、先生も一緒に治
療院に出向き勉強したいと言い出された。
僕は内心とても驚いた。
何故ならその先生は学内ではとても厳格で、学生の中でも最も恐れられていた存在で
あって、学校外の技術を持ち込むなど一番に反対するだろうと思われたからだ。
我々は授業が終わった夕方に何度も治療院に出向き、共に訓練を受けた。
先生はご自分の出来ないこと、知らないことを恥じて隠すのではなく、全く新しいこ
とを真っ白な心で進んで受け入れて行こうとされ、一学生である僕と共に、全くの初
心者として訓練を受けられたのだ。
学校での臨床治療の場で先生は指導者と言う立場を度外視して、我々二人は手探り状
態の同級生のように、相談し、意見を出し合い、困惑しながら治療、研究を進め
てデータを作成して行った。
この先生はなんと大きな人だろうと、僕は彼の背中を見ながら感動した。
結果僕の研究はとても楽しく、意味の深いものとなった。
今から思い起こせば赤面しそうな稚拙な内容のものだったが。
研究発表会の直前、レポートの冒頭に置く文章を先生に見てもらうため、職員室を訪
れた。
そこには「日本での脈診は未発達で、古くからの教えを無視した手探りの治療ではな
いか」というような攻撃的な内容が記されていた。
「ちょっとこれは過激すぎですかね?」と先生に問うと「いや、これでは生ぬるい、
もっとダイレクトに述べるべきだ!」と言われ、更に過激な内容にアレンジされてし
まった。
先生は僕を見てニヤっとされ「だって事実だからね」と言われたことを覚えている。
それは関連的にご自分を批判することにも繋がることで、先生の風刺精神と熱い
情熱に感服した。
そして研究発表の当日、文字通り僕の発表は喧嘩を仕掛けるようなものとなった。
発表を終え席に戻ると、先生が近づいてこられてポンと僕の肩を叩かれた。
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