年が改め、2022年という信じられないような年号となった。
思えば僕も長く生きているものである。
同年代の人々は「正月とは思えない」と皆言う。
それは全く同感である。
我々が子供のころの正月とはまず空気が違う。
あのきりっとしたような空気は何がもたらしていたのだろう。
昭和の時代、僕の家では暮れにまず障子を全部張り替えていた。
母が「はい、全部破ってよし!」と号令をかけて、僕と妹は拳骨で片っ端から破いて回る。
とても楽しかった。
苦労して桟から紙を雑巾で濡らしながらふき取って、そこに糊を塗って新しい障子紙
を貼っていく。
これは難しいので器用な父がやっていた。
蛍光灯もすべて取り換えて、畳を入れ替えたこともあった。
母は大晦日から台所に立ちっぱなしでお節を作って、僕たち子供が寝てしまっても
ずっと作業を続けていた。
元旦の朝目覚めると、何もかもが改まって、家の中が生まれ変わったような感じが
したものだ。
御屠蘇の道具が卓袱台に置かれて、それぞれの小さな朱塗りの皿のようなものに父が
味醂を注いでくれて、全員でそれを飲む。
そして家族四人できちっと頭を下げて新年の挨拶をする。
お節の蓋が開かれて、まず昆布茶を飲む。
京都の雑煮は白みそに餅だけが入って、そこに鰹節が撒かれる。
外に出れば各家の門に日の丸の旗が掲げられ、店はすべて休業。
河原に行けばお決まりのように子供たちが凧揚げをしている。
着物を着た女性もちらほら目につく。
自動車のフロントガラスやナンバープレートには注連縄が飾られ、僕たちは元旦の
午後から親戚を回って挨拶をする。
もちろん僕たちにとってはお年玉の獲得が目的である。
父方、母方の親戚を回れば結構な金額が集まる。
その際はもちろん正装である。
そのようにしてどうしたって正月の空気というものが生じる。
我々も子供ながらに襟を正すような気持ちになったものだ。
そのような空気は昭和が終わると共に少しずつこの国から消えていくようである。
お節を作ることでかかる女性への負担が取り払われ、家の中には障子も畳もなくなり、
門に日の丸を出して特有の政治思想と間違われることもない。
何千年繰り返されて来たこの国の正月のきりっとした空気は、なんと我々の時代で
終わりを告げようとしているのである。
良いことであれ、危惧すべきことであれ、これはこの日本と言う国が今までにない
歴史上大きな変化を見せていることを意味しているのではないだろうか。