最終更新: 2019年4月11日

2018、5、15

10年間の音楽活動の集大成として、CDをリリースした。

この取り組みのためにも多大な労力とお金を使い、とにかく自分なりの一冊のまとめ

のようなものが出来た。

その仕事を終えた時に、さて自分は次に何に向かって歩き出すべきなのか、と立ち止

まって考えた。

その答えは意外にも音楽ではなかったのだ。

今までの人生で、音楽以外で自分のやるべきことを見出すことなど考えたことも な

かった。

しかし僕はある意味考えねばならない年齢を迎えていて、今ここでやりたいことに一

歩を踏み出さねば、おそらく一生それに挑戦することはあるまい、と強く思えたのだ。

10年間恐れと勇気のなさから現実味のあるものとして捉えらえられなかった未来に、

崖っぷちまで追い詰められてしまったという感じだった。

やるしかない、と思えた。

さてそうなると、音楽の仕事をどうするのか、家族を抱えて収入の問題はどうするの

かという大きな問題が待ち構えている。

そこから各方面に事情を話して、皆さんと一緒に対策を思案することとなった。

周りの人たちは皆僕の新しい試みにエールを送って下さった。

でも「頑張って下さい」という思いと、自分たちに降りかかって来る災難はまた別問

題である。

そう、結局僕は学校に三年間通いながら、夜と日曜日はレッスンを行うという方法を

取らざるを得なかった。

生徒さんにしてみればレッスンは時間を指定され、回数を減らされ、レッスンが始ま

る一秒前まで先生はパソコンを開いて難しい顔をしている。

合唱団では別の先生をあてがわれて、月一回だけ茶木が来る、という三年間。

少しずつ不満の声が聞こえて来ることとなった。

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最終更新: 2019年4月11日


2018、4、22 音楽の世界で、僕のその時に出来る僕なりの挑戦を繰り返していた。 それがとりあえずの一段落を迎えた時、僕はそれなりの年齢を迎えていた。 10年が過ぎていたのだ。 その間に通い続けていた鍼灸師の先生が他府県に引っ越されてしまったが、同じ治療 方法の鍼灸師などすぐ見つかるだろうと考えていた。 ネット検索や聞き込み、様々な情報を集めてみたが、同じような流派の鍼灸治療は容 易には見つからなかった。 その時にあの治療は、日本においてはとても特異的な流派なのだということが分かっ て来た。 もう諦めかけていたころ、あるピアニストの女性と練習前に世間話をしていた時、彼 女のお姉さんが鍼治療に通っていることを聞いた。 「お姉さん、どういう治療と言っている?」とその時も興味を持って尋ねた。 「私もお姉さんについて行って一度だけ治療を受けたんだけど、云々」と彼女は 説明した。 僕はそれを聞いて目を丸くした。 探し続けていたあの治療にとても似ているのだ。 でも、かといって同じ治療方法とは限らない。 連絡先を教えてもらって、あまり期待せずに出かけてみることとした。 僕の担当の先生は、僕より少し年上に見える寡黙な男性だった。 たんたんと治療を進め、ぽつぽつとしか話さない。 治療は探していたものと全く同じ方法であった。 「僕は以前~先生の治療を長く受けていたのだ」と説明すると「我々の師匠は一人で 台湾に渡り、中国人から直接中国古流の流派を伝授され、免許皆伝を得て帰って来た 人です。茶木さんが治療を受けていた先生も、我々と同じその師匠の門下になります。 でも門下生はとても少ないので、ほんの数人しかいません。この治療院は師匠が開 かれた本部ということになります」と説明を受けた。 なるほど、僕は偶然にも憧れの流派を日本に持ち帰った人物の下に辿り着いていたの だ。 後で分かったことだが、その日僕を担当した先生は、師匠と呼ばれている人物の日本 での一番弟子に当たる人物であったようだ。

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最終更新: 2019年4月11日


2018、4、12 その治療院に長く通うこととなった。 そこでは鍼灸師の先生方が治療について互いに相談したり、報告し合ったりする。 その話が患者に全部聞こえることになる。 後に勉強して知ることだが、本来施術者には守秘義務という法律があって、患者様の 個人情報を他の者に漏らせば法に触れる。 しかしその時の僕は施術台の上に横になりながら、彼らの話に耳を傾けるのがとても 好きであった。 専門用語ばかりで何を言っているのか分からないことがほとんどだったが、彼らが僕 の体のことや、治療方法などについて夢中で話し合ったり、意見を述べ合ったりして いるのはとても興味深く、何よりも施術へのそのひたむきさに惹かれた。 そして彼らは自分たちの仕事が楽しくて仕方ない、という風である。 できることなら、自分もこの分野で他人の苦しみを和らげることのできる仕事がして みたい。 そう強く思ったが、何しろ自分は10代のころから音楽一本で生きて来た。 鍼灸師になるには三年間学校に通い、朝から晩まで授業を受けて、最後に国家試験に 臨まなければならない。 この年になって、今更そんな人生の大転換が自分にできるだろうか。 でも目の不自由な僕は、音楽の世界では数限りないハンディーを抱えている。 音楽家として活動して行く希望は、ほぼ閉ざされていると言っても過言ではない。 それでも今まで周りの人々の力を借りながら何とか無理矢理にでもやって来た。 それに比べて鍼灸は、昔から視覚障碍者の仕事として技術が伝えられてきた分野だ。 ここならハンディーをそう感じることもなく、自分の技術を磨いて行くことのできる 仕事ができるのではないのか。 その時の僕にはそれが楽観的過ぎる見解であることに気付く術もなかった訳だが。  しかし「この年で勉強に付いて行けるのか」「今までやって来た音楽の仕事をどう整 理するのか」「家庭を持ちながら生活費の問題はどうするのか」など、様々な問題が 山積し、何よりも未知の全く違う世界に足を踏み入れる勇気が持てぬまま、それから 10年が過ぎた。

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